本当に得たいモノは?

何とも言えない空虚感。これがどこから来るのか思いを巡らしてみたのだが、どうやらこれは目先のことばかりに目が行く習慣が身に付いてしまった結果からではないかと思う。

『桃栗三年柿八年』ということわざがあるが(注釈:果樹を植えたら、その実がなるまでに相応の歳月を待たねばならないことから、何事も成就するまでにそれ相応の年月がかかるということ)、やたら「今だけ、金だけ、自分だけ」の風潮に影響を受けている気がする。知らぬ間に。
index

野菜の場合は、春に種まきして秋に収穫するとか、種をまいてから実がなるまでだいたい半年くらいでしょうか。
(そういえば、以前栽培したことがあるけど、アスパラは1年目は収穫できなくて、2年目か3年目からでしたが)

果樹だと、木が成長するのに歳月がかかるので、実がなるまでに年単位で待つ必要がありますね。

建築に使う木なんかは、何十年単位でしょうか。

しかし、我々は結果が出るまで、待てなくなってしまっている気がします。
勿論、早く結果が得られたほうが嬉しいわけだが、種をまいてから実がなるまでに時間がかかる性質のものもあるということを、忘れ去っていないだろうか? 中には、身に付けるまでに何十年もかかるもの、一生かかるもの、或いは一生かけても無理かもしれないが、やる価値のあるモノもあるのではないでしょうか。
このあたりは、対象をどこに向けるかで変わってくるだとと思いますが、どうせなら狭い対象より広いほうが良くないでしょうか?

◎今だけ
 ⇒ 何十年も先、さらには自分の肉体の死を超えて、何百年も何千年も先……を対象にしたら、気持ち・感情はどう変わるでしょうか?

◎金だけ
 ⇒ お金以外のモノ、物質以外のモノ、感情や心、精神や魂、人間性など……を対象にしたら、気持ち・感情はどう変わるでしょうか?

◎自分だけ
 ⇒ 自分だけでなく、家族や友だちなど身近な人のこと、地域、日本、世界、宇宙……と対象を広げていったら、気持ち・感情はどのように変わるでしょうか?

自分が得たい心の状態に向かって選択して行きたいものです。

関連記事一覧

PAGE TOP