山崎弁栄記念館

久しぶりに山崎弁栄記念館へ行ってきました。
といっても、ここ1週間で3回くらい行ったのですが、いずれも店主の岡田さんに会えず空振りに終わっていて、今日はいらっしゃると伺っていたので、念のため事前に電話を入れてから行ったのでした。

目的は、山崎弁栄上人 著作選出版事業 の件だったのですが、以前から訊こうと思っていた「なぜ、ここに弁栄上人の記念館ができたのか?」お尋ねしたところ、「あれ?以前手紙を挟んだ本をお渡していいませんでしたか?」と逆に聞かれ、心当たりがないことを伝えると、その場で何やらファイルを3ページほどプリントアウトして、これを読めば分かるからと、なんと若松さんの本と一緒に下さいました。

プリントして下さった紙には、なぜ山崎弁栄記念館ができたのか、その秘話が書かれていました。
世の中、たまたま存在するものなんて無くて、必ずストーリーが存在するものですね!

頂いた若松さんの本も素敵でした。なんでも岡田さんは、若松さんの本が出版されると纏めて購入して、人にプレゼントされるのだとか!

折角なので、本の一部をほんの少しシェアしたいと思います。
(本文より)
<<現代ではいつからか、悲しみは嘆かわしい、惨めなだけの経験であるかのように語られるようになってしまいました。
 かつては違ったのです。悲しみは、人間がこの世で感じ得るもっとも高貴な営みの一つでした。>>

(あとがきより)
<<東日本大震災からもうすぐ三年の月日が経過しようとしている。時間が解決する、との表現があるが、あまり精確ではない。どんな状況下で起こったとしても、別れによる痛みはどれほど時が流れようと消えることはない。だが、人はいつしか、悲しみが痛みの奥にもう一つの世界があることを知る。悲痛の経験の奥で、うしなったものと、自然とコトバを交わしている自分に気が付く。
 受けとる者がいなければ、手紙を書くことはできない。だが、受けとる相手さえいれば手紙を書くことができる。自分にとって、真実の意味で生きていると感じられるものに人は、手紙を書き送ることができる。>>

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